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2013年8月3日土曜日

ジャーナリズムって....

この一両日、FBでちょいとアツくなった事がありました。

このスレッドなんですけどね。


いろいろとコメント続けるうちに、

σ(^^自身も「シンプルさ」を持たなきゃと思いました。

以下は、そのうにゃにうゃです♪

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昨年の政権交代から、いや、もっと前からかな?

新聞やテレビといったメディアの論調が変わってきたような気がします。


「言論の自由」といえばその通りですし、

いろんな方向からものの見方が出来るのもよく理解しているつもりです。


そして、メディア各社の方針や思想というものが、

論調の中に組み込まれるということもよくよく承知。

また、大手メディアだけでなくて、ローカルメディアや、

本当にささやかな活動をされているジャーナリストの方々もおられます。


さらにはσ(^^も含めてですが、

インターネットの環境を利用してそれぞれの主張がしやすくなっていることもあり、

その千差万別の思いがあふれ出しているようにも思います。


こういったことは大変いいことだと思うんですよね。

まあ、σ(^^は小心者ですので、

政治的、社会的な分野で投稿する勇気はさらさらありませんが。


ただ、最近よく耳にする目にする事の中には、

「表現の自由」や「言論の自由」を盾に、

一方的な主張を繰り広げているケースがあるように思うのです。


その事象の大部分については触れることなく、

ほんの一部だけを取り上げて、

極めて少ない判断材料で、

主観的に感情的に書き綴られているものなどを読むと、

思わず首をかしげていたりします。


ブログやSNSで主張するような個人的な活動は、それでも構わないでしょう。


「自由」を盾にして、

ヘイトスピーチを繰り広げたり、

「威力業務妨害」や「公務執行妨害」など、

ぎりぎりの行動に出るなどは論外ですが。
(事件化されていないだけのものも含めて)


σ(^^が気になるのは、「ジャーナリスト」を自認される方の発言なんですよね。

「ジャーナリズム」というのものは、
 
そもそも現実の事象を的確に伝え、

視聴者や読者の「知る権利」を満足させることが、

その大目的だと思うんです。


にもかかわらずですよ?

取材で得た情報や、直接間接を問わず見聞きした伝聞などをきちんと検証せずに、

主観的感情的に注釈をつけることが「義務」だと思っているのでは?

と感じる記事をよく目にしたりします。


「ジャーナリズム(報道)」と「アジテーション(扇動)」の区別をきちんと付けてる?


たった100年ちょっと前の自由民権運動を始めとする、

明治大正期の国民的な気運の盛り上がりなんかと、

雰囲気がよく似ているような気がするんですよね。

当時も、「報道と扇動の区別」は怪しかった気がしますが。


ただ、ひとつだけ違うと感じるのは、当時は「大義」があったように思うんです。

国のため、社会のため、世の中がよくなっていって欲しいから、

それぞれが感じた事をそれぞれで検証して、

きちんと理論武装して主張していたんだろう、と。


だから、ぐうの音も出ない、立場が悪くなった当局は、

「弾圧」という方法で世論をねじ伏せていたのでは?


「今」はどうか。

何となくですが、安易に判断して、安易な方法で、

「大義」も「信念」もないアピールが多いような気がするんです。


原発、憲法、外交、国防、社会保障を含めたすべての社会的システム....

様々な視点から情報を集めて、様々な角度から検証を加えて、

どんな論戦を挑まれようと論破するぐらいの覚悟で主張して欲しいなと思ったりします。

そこまで出来ていないから、政治屋や官僚の「うにゃうにゃもごもご」で押し切られてしまうんです。


σ(^^;?

σ(^^;は本番に弱いので、論戦を挑まれたら泣いてしまいます。

ですから主張なんてする気はさらさらありません♪

....ってのは冗談ですが。


まあ、いろんな角度から物事を見れば、そのいずれも妥当性があったりしますから、

単純に白黒付けることは出来ないというのが正直な思いなんですけどね。


最近は、ちょいとアンテナを高く伸ばしていると、

いろんな話を見聞きすることが出来ます。


その内容に対して、「反射的」に反応することだけはしない、

「冷静さが必要」なんだろうなと感じる今日この頃。


んー....

結局、長い割に何を言ってるのかわからない投稿になってしまいました(^^;

どうかご容赦を♪

1 件のコメント:

  1. 「ジャーナリズム」の役割は、まず権力の番人と思います。
    国際的問題発言に発展するような無益な発言をしたことを追求したのは、どのような形であれ、日本にしてはめずらしくまともなマスコミの反応だと私は思いました。この程度の批判は常に必要だと思うんです。政府公報の読売は蚊帳の外ですが。
    それでも、政治家として責任を自覚させることは難しいと思いました。

    日本のメディアはたしかにダメと思いますが、今回のはさほどダメではなかったと思います。
    問題は、発言撤回するにしても、どこをどう言っていいかわからない。問題発言も原稿なら、撤回文も原稿で、本人がわけわからないところにあると思います。(原稿書いた人の罠?政治テロ?とさえ思いました)

    表現の自由に関しては、マスコミの表現問題をさすのではなく、一般市民の表現のデモや集会の自由などが含まれることを心配する必要があると思います。

    誰もが発信できる時代ですから、ジャーナリストも営利非営利問わず、権力の監視という役割は果たさないとって思います。ただでさえ、ほとんどのメディアが同じようにしか伝えないのですから。赤旗新聞をほめると共産党と思われてしまいますが、共産党じゃないですよ、でもああいうスタンスとか、暮しの手帖とか、アジアプレスとか、デイズジャパンとか、いろんなインディペンデントの媒体が大事なんだと思います。

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コメント、ありがとうございます。