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2013年8月9日金曜日

建前論....

メディアとの正しい付き合い方どうするの?
 
「建前」でしょ!(^^

ということで、誤解されがちな「建前」をイチオシです(^^


よく「本音と建前」という言葉を耳にします。

「建前」という言葉の意味には、

「白々しく無意味なもの」というニュアンスの方が強いですよね。


でもσ(^^は、「建前」にこそ「立ち位置」があると思っているんです。


sasanoel様のコメントには、「権力の番人」という言葉がありました。

大変頼もしく力強いことと思います。


ただ、「建前」としては、

「番人」はジャーナリストの方々ではなく「有権者」であるというのが、

民主主義国家での正しい認識であるべきだと思うんです。


建前として、「有権者」が番人としての知識と考え方を持たなければ、

民主主義なんて正しく機能しません。


建前として、「有権者」が番人であるためには「教育論」にも話は広がります。


建前として、様々な情報に接するチカラがなければ番人なんてつとまりません。


「建前」を言い始めるといくらでも出てきます。

現実に実行出来ないこともあるでしょうけども、

「建前は無視していい」と考えてしまうと「悪しき個人主義」に陥りませんかねぇ?

「建前」には、人間社会で生きていく上で必要なエッセンスを教えてもらえると考えます。


建前論としてもうひとつ。


メディアの現状は「経済活動」のひとつでしかないのも事実だと思います。

そりゃそうですよね。

お金を稼がないと取材活動が出来ないわけですから。


でも、経済活動である以上、

「神の見えざる手」に動かされるのも事実でしょう。

大手や零細に関わらず、です。


売れなきゃ(読んでもらえなきゃ)意味がないわけで、

そのためにはどのようなスタンスの報道にするか、

メディア各社(個人活動も含めて)は常にお考えのことでしょうから。


つまり、メディアと接する時に、

「客観的な真実を!」と求めても意味のないような気がするのです。

とても全てに目を通す事が出来ない数のメディアを相手に無理筋な要望を突きつけるよりも、

メディアに接する姿勢を改めることの方が余計な感情を持たなくていいと思うんです。


いくつもある媒体のひとつを選ばなきゃいけないということもなく、

「政府公報」を読んでいたらダメというわけでもなく、

「シュギシャ」と見られるのがイヤだから読まないというのも変。


「表現の自由」という建前があるからこそ、

ありとあらゆる主張が行われて、

それらに接することで「知る」機会が提供されているわけです。


他の媒体を批判するのもメディアの常かも知れませんが、

それを鵜呑みにはしたくないなと思うのです。


建前論は、もう少し続きます....

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