一緒に耐えよう、立ち直ろう!東北! がんばろう!日本!

2013年10月26日土曜日

どんなことにしても「歴史」は大切....

「歴史」と言えば、真っ先に思い浮かぶのが「学校の授業」ですよね。

もしくは「専門家の領域」というイメージでしょうか....

どちらにしても、ふつーに生活していると「シンパシー」なんて感じませんね(^^;


でも、何か興味のあることを掘り下げようとした時に、

「その歴史」を知っているのと知らないのとでは大きな差があると思うんです。


車いすハンドボールの今後を語るのであれば、

「車いすハンドボールの歴史」を手繰らなければということで、

まずはその発祥からまとめてみましょう。


そもそも、車いすハンドボールは、

車椅子バスケットボールに取り組む事が出来ない重度な障害者の方に、

「スポーツの楽しさ」を解ってもらいたいという発想から始まっています。


出来る限りシンプルで運動能力に差の出にくいルール。

危険な接触行為はダメ。

扱いやすいボール。

走りやすい広さのコート。

守りやすい大きさゴール....


様々な工夫を凝らして、いわゆる「京都ルール」が完成しました。

ルールが出来上がった時に付けられたのが「車いすハンドボール」という名前で、

健常のハンドボールとは、一切関わりのないスポーツです。


重度の障害者のみではなく、老若男女健常身障問わずスポーツを通じて交流を深め、

楽しい時間を過ごそうと言うのが大目的です。


このルールで始まった「全京都車いすハンドボール大会」は今年で24回目の開催となり、

毎年毎年、この大会を楽しみにしている方々が多くの参加をされています。


そして、一番最初にこのルールが京都を飛び出した先は東北地方でした。

彼の地でも車いすハンドボールは普及し始め、

東日本大会として開催が続けられていたようです。


ただ、「京都」と「東北」は遠く離れているので互いに交流し合うこともなく、

σ(^^自身、東北地方で車いすハンドボールが盛り上がっているなんて全く知りませんでした。


そんなふたつの地域が相まみえる機会がありました!

宮城県で開催された全国障害者スポーツ大会(いわゆる「国体」)に、

オープン競技として車いすハンドボールが採用されたのです。


当時、京都ルールにおいてすでに「無敵」を誇っていたσ(^^たちドリーマーズ。

例え開催地が遠くアウェーであったとしても、

「負け知らず」で、発祥地のチームという「プライド」も合わさって、意気揚々と乗り込みました。


そして、現在にまで至る因縁のライバル、

「宮城フェニックス」との初対決と相成るわけです(^^


次回「死闘!初対決!!」

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